「合格への道程(平成9年合格体験記)」 (Y塾発行)
(前号からの続き)
ドイツから帰ってくると、10月頃から条文を憶える事に力を注ぎました。それまでの基本書の読み込みがよかったためか、面白いほどすんなりと頭にはいって行きました。憶えるためには繰り返しが必要であると痛感し、どうすればなるべく楽に繰り返す事が出きるか考えました。条文はどこでも読む事ができ、どこまで読んだのか分かりやすくするために、ケント紙にコピーし、リングで綴じたものを持ち歩きました。また、条文をカセットテープに吹き込み、倍速再生が出きるレコーダーで繰り返し聞きました。最初150%位の再生スピードで聞いていたのですが、そのうち200%のスピードにしても理解しながら聞く事ができるようになりました。更に繰り返しを楽にするために、MDに落として聞いていました。私は集中力が長続きしないほうですが、条文を見ながらMDを聞いていると暗記に集中する事ができました。
一方わかりにくい条文は適宜表にまとめたり、図を書いたりして自分なりに考え、理解して行きました。4法対照も使っていたのですが、法令集のどの場所にどの条文があるのかについても憶えるようにしたほうが有利と思い(これは実際論文試験でとても役に立った)、最後は法令集そのままの条文を回すようにしました。
さらにあまりに勉強が進んでいない私を見兼ねてか、平成8年度合格のS先生(現在は中級ゼミの講師をされています)がたくさんの貴重な時間を使い、懇切丁寧に多枝の問題の解き方や、論文で重要な論点について説明してくださいました。この時得る事ができた知識や試験に対する心構えが役だったのはもちろんの事、せっかくこれだけ教えていただいたのに、今年も多枝に受からなかったらなんと御侘びをしようかというプレッシャーは勉強への大きな励みになりました。
条文を憶える事はそのまま論文試験にも役立ち、レジュメの中のどこが大切で、どこがあまり大切でないかについても解るようになりました。論文試験においては、(1)問題を読む、(2)法令集を流し読みし、論文に不可欠な関連条文を拾い、答案構成の骨組みを作る、(3)審査基準や基本書などに書かれている事を必要に応じて肉付けしてゆく、(4)実際に論文を書く、という自分なりの方法を確立する事ができました。そして、論文は骨組みさえしっかりしていれば、まず不合格点はつかない事を発見しました。
年内はそのようにして、条文を憶える事に費やし、1月から論文答練(通学)と多枝当練(通信)を受け始めました。この頃既にレジュメはかなり頭に入っており、自分なりの論文の書き方も身についていたため、論文答練は総合129位とこれまでにない進歩を遂げる事ができました(そのうえ一度も休む事なく行けた)。多枝答練も条文が頭に入っている限り恐い事はなく、毎回成績優秀者として名前を載せて頂きました。勉強を初めてこの方味わった事のない充実感を味わう事ができました。K先生が数年前におっしゃっていた「条文を理解し、憶えていれば、この試験はおそるるに足りない」という言葉の本当の意味をこの頃初めて知りました。
答練が終わると、多枝の勉強を本格的に始め、過去問を解いたり、条文を繰り返し読んだりしました。そして、6月初めには3回目の多枝試験についに初めて合格する事ができました。これまで味わった事のない感動でした。
(6)27才中期(平成9年7月~平成9年11月10日);論文本試と口述試験
多枝試験が終わると、すぐに論文試験の勉強を始めました。レジュメを回すことと、基本書からレジュメにない論点をピックアップし、自分なりに説明できるようにすることとが中心となりました。予想問題整理特訓を受け、直前書き込みを受けました。予想問題整理特訓では本試の目玉であった意3条の論点が取り上げられており、たいへん助かりました。直前書き込みの成績は68位でした。また、選択科目も毎日必ず勉強することを心がけました。
論文試験の前に休みを頂き、図書館に通う生活が始まりました。しかし、この頃ストレスや疲労がピークに達しており、何を見ても頭に入らない状態でした。やる気が起きずに、図書館で、勉強とは全く関係ない本を探してきては何時間も読んだりしました。気分転換にと友人に電話しても話題が合わず、孤独を感じました。息抜きが大事とプールに泳ぎにいっても、テレビを見ても全く楽しくなく、こんな生活がずっと続いたらどうしようかと考えていました。
2次試験の会場は私のアパートから歩いて15分くらいの所であり、交通には恵まれました。小雨の降る中、会場に向かいました。本試験では論文用紙の右上にページ番号を書くための( )がないのに驚きましたが、ページ番号を振りました。ペースがつかめず、1問目、2問目に15分づつ構成をし、2問目から書き始めると、2問目が終わった時点で残り35分を切っており、1問目は死ぬ気で書きました。1問目の論点は「公知技術の参酌を許すべきか否か」について論じました。
実案は2問目の事例問題に戸惑いながらも、否認としての主張と抗弁としての主張と無効の主張に分けて説明しました。1問目は29条の2、29条の3、40条の2、特103条を挙げて説明しました。
意匠の1問目は混同説に従っていると思われる最高裁判所の判決文そのままでは、なぜ3条1項3号(及び23条)が需要者を主体とした規定と考えるのか不明確であると思ったので、3条1項を創作性の有無に関する規定と判断した場合(創作説と書いた)および出所混同に関する規定(混同説と書いた)と判断した場合のそれぞれの違いについて説明した後、「自己の見解」という欄を設け、竹田判事の「知的財産権侵害要論」に書かれている混同説を正当とする根拠を再現し、混同説が妥当であるため、3条1項と2項とは全く異なる規定である旨述べました。
意匠の2問目は、確認説と拡張説について説明した後、文理解釈上(23条)拡張説が妥当である旨述べ、新斉藤に書かれている事を自分なりにまとめて補強しました。後段は拡張説を採用することを根拠に、登録要件も通常の出願と同様に判断すべきである旨述べました。
2日目、レジュメにない基本書の重要事項はカードにまとめて憶えていたため、商標法の1問目の後段は書くことができました。また、防護標章は答練会で出された問題であり、なじみのあるものでした。
パリ条約では面食らいましたが、半面みんな書けないだろうと思うことが自信につながりました。30分くらい考えた後、発明は構成要件全体で一つであり、同一発明である出願Bを基礎とすべきである旨(4条A)を書き、ただし出願Aの明細書に発明abcが記載されているならば、出願Aを基礎とすべき旨(4条H)書きました。
PCTは条文に沿って説明し、また46条はY塾の予想問題に挙げられていたため、よく書くことができました。
選択科目も3科目とも全て無難にこなすことができました。各2時間、合計8科目、一週間に及ぶ長丁場の論文試験を無事終えて、もしかしたら合格?と思う半面、特許と意匠は何点ついているかわからないなと思っていました。論文試験後は久しぶりにゆっくりと過ごすことができました。気分転換に引っ越し先を決め、プールで泳いだり、買い物をしたり、飲みにいったりしました。久しぶりに味わう解放感でした。しかし、その思いも束の間、口述試験のことが気になり初め、去年合格した先生方から口述再現集をお借りし、口述の勉強を始めました。その一方、論文に不合格だった場合に、もう1年勉強を続けることを考えると気が重くなりました。1年で済まないかも知れないと思うとさらに気が重くなりました。
(次号へ続く)
椿特許事務所
弁理士TY