「合格への道程(平成9年合格体験記)」 (Y塾発行)
(前号からの続き)
(4)25才中期~26才初期(平成7年7月~平成8年6月);勉強2年目
1年目の経験から、もっと勉強せねばと思い、多枝が終わって少しすると中級ゼミの試験に向けてレジュメを必死に憶えました。すると得意の職務発明が出題され、運よくS先生の木曜中級ゼミに入れていただくことになりました。このゼミはレベルの高い人が多くおり平成8年度に3名の2次試験合格者が、平成9年度には4名の合格者がでました。合格する人がどのように弁理士試験について考え、どのように勉強しているのかを知る上で、たいへん参考になりました。
この頃の私はまだ、「法律とは何か」、「なぜ条文が大切か」について全く理解しておらず、レジュメを最初から最後までお経を憶えるように丸暗記しており、「これが合格に一番近い勉強なんだ」と思っていました。従って、基本問題が出されたときは(理解してないまま)そこそこの点をとることができましたが、応用問題になると全く書けないという有り様でした。
年が明けると自分にとって2回目の答練会が始まりました。しかし点数があまり思わしくなく、「何かがおかしい」とは思いながらも、何がおかしいのかつかめず、苦しんでいました。その一方、同じ時期に勉強を開始した人たちは成績優秀者として登場するようになっていました。机に向かって勉強しているような気になっても、手ごたえが全くなく、このままでは一生受からないのでは?と思い始めました。いつのまにか答練会も仕事を口実に休みがちになっていました。全て投げ出してしまいたいような、それもできないような時期でした。
答練会の3ラウンド目くらいから多枝に向けて条文を嫌嫌ながら憶えはじめ、過去問を解き始めましたが、6月初めの多枝本試験の結果は不合格でした。
(5)26才中期~27才初期(平成8年7月~平成9年6月);勉強3年目
多枝に2回続けて落ちたのはさすがにショックであり、かといって勉強にも身が入らぬまま、小説を読んだり、水泳に行ったりしてのんびりと過ごしていました。そうこうしている内、条文やレジュメを無理矢理憶えるよりも、何が自分に欠けており、何が自分に必要なのかを考えることが先決であると思い始めました。
そんな中8月の終わりぐらいにドイツに住む友人から遊びにこないかという誘いを受け(というか強引に押しかけようと思い)、心優しき上司も許してくれたので、9月の終わりの連休を利用して11日間のドイツ旅行に出かけました。折しもフランクフルトは見本市であり、飛行機やホテルの予約も難しく、また、友人の家に2泊した後は1人でドイツの南部を旅するという、私にとって困難に満ちた旅行となりました。しかし、この旅行が私に転機を与えることになりました。
出発前にドイツ語の勉強を少しはしなければと思い、単語や文法を憶え始めました。ドイツ語の文法はたいへん複雑であり、自分なりに表にまとめて憶えている内に、語学と法律とには共通点があることに気づき始めました。法律は制定の理由(趣旨)はあるものの、結局の所は長い年月をかけて作られた人間同士の取り決め(条文)です。これは、言語が人間同士の取り決め(文法や単語)であることと共通します。それらの取り決めを正確に憶え、取り決めがされた趣旨を理解することが法律の勉強であり、社会の一員としての義務であることをこのとき初めて理解することができました。それまでの私はそのことさえ気づかずに、自分勝手なことばかりしていたように思います。そのような態度が弁理士試験にも出ており、条文を軽く考え、自分勝手な考えでマークシートを塗り、論文用紙を埋めていたのだと思います。
また、一方では自分が何に依拠すればよいのか解らず、「レジュメにあるから書こう」とか、「合格者の言った事は鵜呑みにしよう」とか、「基本書にあるから書こう」とか、いろいろな情報にふりまわされていました。それがこの頃には、「法律の世界では、だれしも皆平等であり、世の中のルールである条文を正しく理解し、その条文に従う限り、誰からもとがめられる事はない(勿論実際の生活では違います)のだ。だから条文に依拠して考え、条文に依拠した論文を書こう。」といった考えに変わって行きました。そういった考えが身についたとき、もはやいろいろな情報にふりまわされる事がなくなっていました。
またドイツ旅行ではたくさんの人と出会い、話をする事ができ、多くの刺激となりました。関西国際空港へ向かう飛行機の中で、自分もいろいろな面でもっと努力しようという気になってきました。
(次号へ続く)
【当時を振り返ってみて】
・今読みなおすと、青臭い文章で恥ずかしい。勉強を始めて最初の2年間は、法律の学び方を習得するためだけに費やした気がする。飛ぶために、先ず歩き方を覚えていたときといえるのだろうか(ちょっとニーチェ的)。たぶん今の受験生は、受験機関からきちんとした情報を効率的に習得できると思うので、こんな無駄な時間を過ごさなくて済むのだろう。
・最初の2年間は、(1)多種の情報の中、何を暗記すべきなのか分かっていなかった、(2)暗記に重点を置いていなかった、という点が失敗だった。語学の学習において単語を覚えることが必須であるように、法律を使いこなせるようになるためには、条文を覚えなければならない。弁理士を目指してF事務所に就職しようとした時に、面接でF所長から「仕事でも勉強でも法令集は肌身離さず持っておき、常に条文を確認するように」、とアドヴァイスを受けたことを覚えている。
・ドイツではバックパックとともに、主にバーバリア地方などを巡った。ドイツ語しか通じず、コミュニケーションに相当苦労した。どの国でも人間は大して変わらないのだが、やはり言葉が通じない、言いたいことが言えない、という状況は、相当に辛い。自分が幼児になったような気がする。
椿特許事務所
弁理士TY