(前号からの続き)
(2)24才初期(平成6年4月~平成6年6月);就職、勉強開始
大阪に狭いアパートを借り、私の社会人としての、新しい土地での、自活して生きるという人生初めての生活がスタートしました。このときの私の実務経験、社会人経験及び法律の知識はゼロでした。最初はどういうことになるものかと内心冷や汗ものでしたが、幸運にも私はたくさんの良い人に恵まれました。今まで仕事や勉強を続けることができたのは大阪で良い人に巡り会えたからだと思っています。
特にこの年はY塾の上級ゼミの講師をされていたK先生に直接の上司となって頂き、公私共々たいへんお世話になりました。K先生は仕事も受験勉強も全くできなかった私を嫌な顔せず、懇切丁寧に指導されました。そのとき教えていただいた文章の書き方、発明のとらえ方は、仕事や論文試験で大いに役立ちました。
また、K先生はこのとき、条文の大切さを力説され、「条文を適格に理解して憶えていれば、多枝も論文も口述もこわくない」とおっしゃっていました。そのころの私はそんなものかと解ったような気になっていましたが、その言葉の重みを本当に理解することができたのは、それから2年以上経過してからでした。
青本や吉藤を手に入れ、自分なりに基本書を読み始めましたが、折しも平成5年改正法の施行直後であり、どこが改正されたのか、どこがポイントなのかさえ解らず、こんな勉強をしていていつ合格レベルに達するのか疑問に思っていました。事務所の先生方にY塾を勧められ、7月から始まる基礎講座に通うことにしました。
(3)24才中期~25才初期(平成6年7月~平成7年6月);勉強1年目
7月からN先生の基礎講座が始まり、花の金曜日の夜はそれに費やされることになりました。事務所の同期入所の3人で行くことができたのが心強く、よい励みにもなりました。
基礎講座のN先生はフローチャートを使って防護標章について説明されたりと、図面を多く用いて丁寧に解説されたため、基礎講座はとてもわかりやすい講義でした。また、基礎講座では4法と条約を一通り回すため、工業所有権の理解のための基礎をこのときに作ることができたと思います。
ただ、この頃の私は、受験の難しさ、受験勉強の仕方を全く把握しておらず、友人から誘われるままに飲みに行き、キャンプに行き、テニスをし、スキーに行っていました。当然勉強時間は少なく、ゼロという日もありました。また机に向かっても何をしたらよいのか解らず、無駄な時間ばかり過ごしていました。人から「レジュメを憶えるとよい」と言われてはいましたが、どんな風に憶えたらよいのか、何がポイントかさえ解らず、勉強の仕方をつかむことができませんでした。
年が明けると、無謀にも答練会に参加しました。全回出席し、皆勤賞はもらったものの、何を書けばよいのか全く解らず、白紙に近い答案ばかり書いていました。
「答練が終わった頃から多枝の勉強を」という風潮があり、その言葉を信じて過去問などを解き始めたものの解けるはずがなく(条文を憶えていないので当たり前)、ほとんど勉強せぬまま試験会場へ行き、惨敗しました。しかしながら、この年は基礎講座に通い、基本書を読む時間を多くとることができ、今思うと基礎固めになった年だったと思います。
(次号へ続く)
【当時を振り返ってみて】
・当時、法学書院の「受験新報」の後ろに特許事務所の求人広告があり、それを見たことがきっかけでF特許事務所へ就職させて頂いた。F事務所では、当時、毎年1名の合格者が出ており、平成5年には、M先生、U先生の2名が1事務所から合格していた。当時の弁理士試験の難易度から見ると、驚異の(奇跡の)事務所だったと思う。「働きながらでも合格できるんだ」、という勇気を頂いた。
・お世話になっていたF事務所は、当時総勢90人ほどの事務所であり、外国案件が多く、様々な技術分野を扱っており、明細書の質など相当にレベルが高かった(飽くなき高レベルを求めていた)。当時は技術分野での所員のグループ分けがされていなかったこともあり、電気、機械、ソフト、化学、材料・・、と様々なジャンルの仕事を担当させて頂いた。職場の先輩方にはたくさんのことを教えて頂きました。この経験は独立してからもとても役に立っています(大変に感謝しております)。
・特許事務所では珍しく、新卒の同期が9名(も)いた。技術法律系では、Nさん、Aさん、(僕)、秘書・翻訳部門では、Sさん、Kさん、Tさん、Mさん、Mさん、Mさん(すまん上の名前が思い出せない)。現在Nさんは、関西を代表する弁理士として活躍中。I国のS島に嫁いだMさんからは、先日連絡を頂いた(以前、手作りのI国S島のレモン酒を頂いたことが今でも印象に残っています。あれはうまかった)。他の皆も元気だろうと思います。機会があれば同窓会でもどうでしょうか。
・職場は人間的な魅力にあふれた方が多く、所員旅行や忘年会やスポーツ大会など楽しかった。先輩方には大変にお世話になりました(ありがとうございます)。特に先輩弁理士は、威張ったりする人がおらず、「あんなに難しい試験を合格したのに、人間的にすごい」と思い、自分もそうなろうと思った(皆、試験で大変な目にあうことによって人間が磨かれたのではないかと思っています)。
・K先生には、明細書の書き方やクレームドラフティングなどをマンツーマンで丁寧に指導して頂いた(大変に感謝しております)。最初は、先行技術を回避しながらも権利範囲が広く、かつ記載不備にはならないクレームの起草に重点を置いていた。その後、外国出願、中間処理、訴訟、ライセンス交渉などを経験して、「外国出願に(も)適したクレーム」や、「侵害の立証がしやすいクレーム」や、「損害賠償額が大きくなるクレーム」や、「反論や回避(設計変更)がし難いクレーム」(侵害者側から見て「嫌な」クレーム)の起草を目指すようになり、仕事に求めるレベルが上がっていったように思う(まだまだ知らないことは多く、修行中ですが)。
椿特許事務所
弁理士TY