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月曜日です。皆様、よい週末を過ごしてリフレッシュされたことかと思います。
先週の土曜日、「W」会のサマーイベントが神戸FFPにて開催されました。BBQや温泉など楽しかったです。O特許のT先生ほか、運営委員の皆様、ありがとうございました。C特許のM先生、Y特許のH先生、コスチューム(白鳥など)良かったです。また魅せてください。他、お会いできたたくさんの方々、楽しい時間を頂いたことに感謝しています。
先日部屋を掃除していたら、古いフレキシブルディスクが出てきました。PC-9801のフォーマットだったので、読み出すのに時間がかかりましたが、10年以上前の私の弁理士試験の合格体験記(受験機関からの依頼で作成したもの)でした。
当時、弁理士試験は今ほどメジャーな試験ではなく、弁理士という資格はほとんど世間に知られていませんでした。平成9年の最終合格者数は確か130名、合格率は3%ぐらいの試験であったかと記憶しています。弁理士の数は、全国で3000人ほどでした。当時は今と異なりインターネットからの情報もなく、如何にして試験の情報を得るか、如何にして勉強の仕方を取得するかが、まず第1の難関でした。
また、多枝試験(現在の択一試験に相当)では、「解なし」という冗談のような「正答」があり、本試験では必須5科目、選択3科目の計8科目の試験(各科目2時間)が1週間にわたって行なわれるという、ハードなものでした(仕事を持っている人にとっては、1週間の休みを確保することだけで大変なことだったかと思います)。現在のように、試験科目の免除や、段階合格制度といったものは当然になく、1年に1回きりの試験で多枝試験に合格し、かつ論文8科目全てが合格基準に揃ってなければ(そして口述試験をクリアしなければ)最終合格ができない(揃っても他の受験生との比較で合格できないこともある)、という過酷な試験でした(当時の弁理士試験の過酷さは、実際に体験した人でなければ理解できないものではないかと思います)。
さらに、国の情報公開が進んでおらず、試験問題は非公開、合否の理由、成績も非公開であり、不合格のときに自分がなぜ落ちたのか、自分がどのレベルまできているのか見当がつかない、という精神的な辛さもある試験でした。
ほとんどの受験生は皆、仕事を持ちながら、悲惨ともいえる状況の下、合格を目指していました。私も、思えば仕事と勉強と食事など以外では、ほとんど何もしなかったという暗黒の時代を過ごしていたように覚えています。
現在では弁理士の試験制度は相当に変わっていますが、当時を知っている先生方には懐かしく、また近年合格の新制度の弁理士の先生方には、昔は何と非効率的な時代だったのかと笑える時代の話であるかと思い、10年以上前の当時の合格体験記を掲載することとしました。
インターネットというメディアの特質上、各種団体、組織にご迷惑となるかもしれない部分は削除・改訂し、登場人物はイニシャルに変更させて頂きました。また、文章が未熟なところが多々あり、今思うと赤面する部分が多々ありますが、自分の記念でもあり、恥を忍んでなるべく当時のままの文章とさせて頂きました。
(以下、1997年の合格体験記より若干修正したものを掲載)
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「合格への道程(平成9年合格体験記)」 (Y塾発行)
 椿 豊
1.はじめに
---(省略)---
2.最終合格への道程
(1)22才~23才(平成4年4月~平成6年3月);受験以前
 私は大学院におり、研究生活を送っていました。修士課程修了後は、実家がある福岡県で就職して一生を送ろうと漠然と考えていましたが、一方で、特に情熱もないまま何となく就職してゆくことについて、「こんなものでいいのかな。」と不安に思っていました。
 そんな中、修士過程も終わりになるころに、アルバイトをしながら司法試験を目指している同級生と知り合いになりました。その方と話をするうちに資格をとって自分の力で世の中をわたって行くという生き方に感銘をうけ、自分に向いた資格はないものかと調べた結果、弁理士という資格があることを知りました。その試験は理科系の人がたくさん受けるものであること、少しは知識のある土質工学及び測量学が選択科目にあることにつられて受験を決意しました。しかし当時は、最終合格者数100名程で、合格率3%という試験がどの程度難しいものであるかということを全く理解しておらず、今考えるとずいぶん無謀な決意をしたものだと思います。
 弁理士の試験は東京と大阪でしか受けることができず、しかも2次試験にあっては1週間連続して行われ、よほど理解のある会社でなければ休みを取ることは難しいと思われたため、大阪の特許事務所への就職を決意しました。幸いF特許事務所に拾っていただき、平成6年4月1日より大阪で働くことになりました。
 ちなみに親類や友人の中には弁理士、特許事務所というものを知っている人はほとんどおらず、皆、不思議そうな顔をしていました。
(次号につづく)
椿特許事務所
弁理士TY

Post Author: tsubakipat