昨日の小テストについて。
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■詩を読んで、答えましょう。
りんご
山村暮鳥
両手をどんなに
大きく大きく
ひろげても
かかへきれないこの気持
林檎が一つ
日あたりにころがつてゐる
(4)「りんご」の作者は、ころがっている林檎をどのようなものとして見ていると考えられますか。一つ選んで、○をつけましょう。
ア( )だれにも気づかれない、ちっぽけであわれなもの。
イ( )光りかがやいているような、とてもはなやかなもの。
ウ( )しっかりとした、大きくて豊かなもの。
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【個人的コメント】
『「りんご」の作者は、ころがっている林檎をどのようなものとして見ていると考えられますか』、との問なのだが、肝心の林檎に関する描写は、「林檎が一つ 日あたりにころがつてゐる」の文章だけである。勿論、「林檎」は「林檎」であり、それ以上のものでもそれ以下のものでもない。見る者の心情(state of mind)によって、1つの同じ対象である林檎は、良いイメージのものとなったり、悪いイメージのものとなったりする。これは要するに、作者の心がどのような状態であるかを問う問題なのであろう。なお、林檎だけではなく、人間が人間を見る時も同じことがいえる。世の中のすべてのものは、見る者の心を映し出す鏡でもある。
「日あたりに」あることを見ている作者の言葉から、作者は暖かいよいイメージを林檎に対して持っているようにも感じるし、「ころがつてゐる」の文言は、取るに足らぬつまらぬものである印象も生じる。また、「一つ」からは孤独、孤高といった良い悪い両者のイメージが含まれるように感じる。林檎は、何らかのメタファー(隠喩)を示しているのかもしれない(自由、知恵、禁断・・etc)。
林檎の描写の前段において作者の心情を表現する、「両手をどんなに 大きく大きく ひろげても かかへきれないこの気持」との文がある。このとき作者はどのような心の状態だったのか?概してはポジティブな状態であったのか、ネガティブな状態であったのか?「かかへきれないこの気持ち」は、かなえられることのない切ない気持ちなのか、それとも大きな夢を抱くような自信にあふれた気持なのか?
また、林檎を自分と(または自分の気持ちと)対比させているのであれば、これらを同一のものと見るのか、対照的な物体としてみるのか?
さらに、回答の選択肢を見ると、(ア)=ネガティブ、(イ)と(ウ)=ポジティブ、とグループ分けされるが、出題者の意図は何か?(詩の作者の心情を慮る、出題者の「心情」も考慮する必要があるのだろうか?)
・・など、考えると切りがないので、僕は、「作者は叶うことのない思いを胸に抱いていて、ちっぽけな自分を林檎に投影している」と読み、答えは(ア)!と解答したら、正解とされる答えは(ウ)だった(理由は教えてもらえなかった)。人の心を読むことは難しい。
ところで、経営に関するセミナーに行ったり、そういった本を読むと、「選択肢を出されたときは注意しなければならない。なぜならば、その中に答えがないことの方が多いから。」、というようなことを教わる。実際そのとおりかと思う。私たちは、言葉を用いてなんとか事実や心を伝えようとするが(また、他人の言葉からそれが意図するものを読み取ろうとするが)、ときにその無力さに意気消沈させられることがある。もしかすると、この問題も「解なし(人の心はわからない)」というのが答えなのかもしれない。(そういえば昔の弁理士試験は、「解なし」が正答であるという問題が出題されていたなあ。)
【日誌】
Yさんから、西梅田のとある学校法人が運営する「S」というレストランで昼食をごちそうになる。梅田の昼時であっても、静かで落ちついて食事ができるいい店だった。レストランでは、今度O-K大学での話す内容を打ち合わせる。Yさんの大阪ハーフマラソン、東京マラソンへの出場の話も聞く。気付くと季節はスポーツの秋になっている。
椿特許事務所
弁理士TY