平成20年(行ケ)第10001号 知財高裁平成20年8月26日判決
(発明の成立性、特許法第2条1項)
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第5 当裁判所の判断
1 取消事由2について
当裁判所は,本願発明が,人の精神活動又は人為的取り決めであり,自然法則を利用したものといえないとした審決の論理及び結論には誤りがあると解する。その理由は,以下のとおりである。
(1) 特許法2条1項所定の発明の意義
特許法2条1項は,発明について,「自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のもの」をいうと規定する。したがって,ある課題解決を目的とした技術的思想の創作が,いかに,具体的であり有益かつ有用なものであったとしても,その課題解決に当たって,自然法則を利用した手段が何ら含まれていない場合には,そのような技術的思想の創作は,特許法2条1項所定の「発明」には該当しない。
ところで,人は,自由に行動し,自己決定することができる存在であり,通常は,人の行動に対して,反復類型性を予見したり,期待することは不可能である。したがって,人の特定の精神活動(社会活動,文化活動,仕事,余暇の利用等あらゆる活動を含む。),意思決定,行動態様等に有益かつ有用な効果が認められる場合があったとしても,人の特定の精神活動,意思決定や行動態様等自体は,直ちには自然法則の利用とはいえないから,特許法2条1項所定の「発明」に該当しない。
他方,どのような課題解決を目的とした技術的思想の創作であっても,人の精神活動,意思決定又は行動態様と無関係ではなく,また,人の精神活動等に有益・有用であったり,これを助けたり,これに置き換える手段を提供したりすることが通例であるといえるから,人の精神活動等が含まれているからといって,そのことのみを理由として,自然法則を利用した課題解決手法ではないとして,特許法2条1項所定の「発明」でないということはできない。
以上のとおり,ある課題解決を目的とした技術的思想の創作が,その構成中に,人の精神活動,意思決定又は行動態様を含んでいたり,人の精神活動等と密接な関連性があったりする場合において,そのことのみを理由として,特許法2条1項所定の「発明」であることを否定すべきではなく,特許請求の範囲の記載全体を考察し,かつ,明細書等の記載を参酌して,自然法則の利用されている技術的思想の創作が課題解決の主要な手段として示されていると解される場合には,同項所定の「発明」に該当するというべきである。
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(3) 特許法2条1項所定の「発明」への該当性について
ア 前記(2)の認定を基礎に,本願発明の特許法2条1項の「発明」該当性について判断する。
本願発明の特徴は,以下のとおりである。
すなわち,英語においては,発音のパタンが多く,文字と発音の「ズレ」も著しいため,発音から文字の綴り字を推測することは難しい。その点を解決するための手段として,本願発明は,非母語話者であっても,一般に,音声(特に子音音素)を聞いてそれを聞き分け識別する能力が備わっていることを利用して,聞き取った音声中の子音音素を対象として辞書を引くことにより,綴り字が分からなくても英単語を探し,その綴り字,対訳語などの情報を確認できるようにし,子音音素から母音音素へ段階的に検索をすることによって目標単語を確定する方法を提供するものである。
そして,子音を優先抽出して子音音素のローマ字転記列をabc順に採用している点からすると,本願発明においては,英語の非母語話者にとっては,母音よりも子音の方が認識しやすいという性質を前提として,これを利用していることは明らかである。そうすると,本願発明は,人間(本願発明に係る辞書の利用を想定した対象者を含む。)に自然に具えられた能力のうち,音声に対する認識能力,その中でも子音に対する識別能力が高いことに着目し,子音に対する高い識別能力という性質を利用して,正確な綴りを知らなくても英単語の意味を見いだせるという一定の効果を反復継続して実現する方法を提供するものであるから,自然法則の利用されている技術的思想の創作が課題解決の主要な手段として示されており,特許法2条1項所定の「発明」に該当するものと認められる。
イ この点につき,審決は,特許法2条1項所定の「発明」に該当しない根拠を,概要,以下のとおり述べる。
(ア) 「一,言語音の音響物理的特徴を人間視覚の生物的能力で利用できるために,英語の音声を子音,母音子音アクセント,スペル,対訳の四つの要素を横一行にさせた上,さらに各単語の子音音素を縦一列にローマ字の順に配列させた。」との記載は,対訳辞書の引く方法の特徴というよりは,引く対象となる対訳辞書の特徴というべきものであって,本願発明の「辞書を引く方法」は,人間が対訳辞書を引く方法を特許請求するものであると解釈可能であるから,対訳辞書の特徴がどうであれ人間が行うべき動作を特定した人為的取り決めに留まるものである。
「二,英語音声を音響物理上の特性から分類した上,情報処理の文字コードの順に配列させたので,コンピュ-タによるデータの処理に適し,単語の規則的,高速的検索を実現した上,対訳辞書を伝統的辞書のような感覚で引くことも実現した。」との記載は,この特徴もやはり対訳辞書の引く方法の特徴というよりは,引く対象となる対訳辞書の特徴というべきものであって,本願発明の「辞書を引く方法」は,人間が対訳辞書を引く方法を特許請求するものであると解釈可能であるから,対訳辞書の特徴がどうであれ人間が行うべき動作を特定した人為的取り決めに留まるものである。
「三,辞書をできるだけ言語音の音響特徴と人間聴覚の言語音識別機能の特徴に従いながら引くようにする。すなわち,まずは耳にした英語の音声を子音と母音とアクセントの音響上の違いに基づいて分類処理する。次に子音だけを対象に辞書を引く。同じ子音を持った単語が二個以上有った場合は,さらにこれら単語の母音,アクセントレベルの音響上の違いを照合する。」との記載は,人間の聴覚で識別された言語音の音響特徴にしたがって分類処理し,人間が対訳辞書を引く方法を記述しているものであり,人間の聴覚で識別された言語音の音響特徴を分類処理することは,専ら人間の精神活動を規定したものにすぎず,人間の精神活動である分類処理の結果にしたがって,人間が辞書を引く動作は,人間が行うべき動作を特定しており,人為的取り決めそのものといえ,やはり,自然法則を利用しているものとはいえないなどの理由を述べる。
(イ) しかし,審決の判断は,以下のとおり失当である。
前記(1)のとおり,出願に係る特許請求の範囲に記載された技術的思想の創作が自然法則を利用した発明であるといえるか否かを判断するに当たっては,出願に係る発明の構成ごとに個々別々に判断すべきではなく,特許請求の範囲の記載全体を考察すべきである(明細書及び図面が参酌される場合のあることはいうまでもない。)。そして,この場合,課題解決を目的とした技術的思想の創作の全体の構成中に,自然法則の利用が主要な手段として示されているか否かによって,特許法2条1項所定の「発明」に当たるかを判断すべきであって,課題解決を目的とした技術的思想の創作からなる全体の構成中に,人の精神活動,意思決定又は行動態様からなる構成が含まれていたり,人の精神活動等と密接な関連性を有する構成が含まれていたからといって,そのことのみを理由として,同項所定の「発明」であることを否定すべきではない。
そのような観点に照らすならば,審決の判断は,①「対訳辞書の引く方法の特徴というよりは,引く対象となる対訳辞書の特徴というべきものであって,・・・対訳辞書の特徴がどうであれ人間が行うべき動作を特定した人為的取り決めに留まるものである」などと述べるように,発明の対象たる対訳辞書の具体的な特徴を全く考慮することなく,本願発明が「方法の発明」であるということを理由として,自然法則の利用がされていないという結論を導いており,本願発明の特許請求の範囲の記載の全体的な考察がされていない点,及び,②およそ,「辞書を引く方法」は,人間が行うべき動作を特定した人為的取り決めであると断定し,そもそも,なにゆえ,辞書を引く動作であれば「人為的な取り決めそのもの」に当たるのかについて何ら説明がないなど,自然法則の利用に当たらないとしたことの合理的な根拠を示していない点において,妥当性を欠く。したがって,審決の理由は不備であり,その余の点を判断するまでもなく,取消しを免れない。
のみならず,前記のとおり,本願の特許請求の範囲の記載においては,対象となる対訳辞書の特徴を具体的に摘示した上で,人間に自然に具わった能力のうち特定の認識能力(子音に対する優位的な識別能力)を利用することによって,英単語の意味等を確定させるという解決課題を実現するための方法を示しているのであるから,本願発明は,自然法則を利用したものということができる。本願発明には,その実施の過程に人間の精神活動等と評価し得る構成を含むものであるが,そのことゆえに,本願発明が全体として,単に人間の精神活動等からなる思想の創作にすぎず,特許法2条1項所定の「発明」に該当しないとすべきではなく,審決は,その結論においても誤りがある。
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【メモ】
実務にどう活かしてゆくべきか、興味深い判決である。
(知財管理,2010,Vol.60,No.11, pp.1871-1877、「判例研究 No.349、綴りが分からない単語を検索できる英語辞書を引く方法の発明性」においては、反対説の立場での詳細な検討がなされている。)
大前提である、「出願に係る特許請求の範囲に記載された技術的思想の創作が自然法則を利用した発明であるといえるか否かを判断するに当たっては,出願に係る発明の構成ごとに個々別々に判断すべきではなく,特許請求の範囲の記載全体を考察すべきである(明細書及び図面が参酌される場合のあることはいうまでもない。)。そして,この場合,課題解決を目的とした技術的思想の創作の全体の構成中に,自然法則の利用が主要な手段として示されているか否かによって,特許法2条1項所定の「発明」に当たるかを判断すべきであって,課題解決を目的とした技術的思想の創作からなる全体の構成中に,人の精神活動,意思決定又は行動態様からなる構成が含まれていたり,人の精神活動等と密接な関連性を有する構成が含まれていたからといって,そのことのみを理由として,同項所定の「発明」であることを否定すべきではない。」との考えには、賛成できる(括弧書き内も、「場合のある」と述べられている点に注視すれば、リパーゼ判決と整合するものと思われる。また、「特許請求の範囲の記載全体を考察すべき」との考えは、現行の審査基準の考えに合致する)。
椿特許事務所
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